謙介が今日子を放置して出席したのは、団鬼六に次いでSM小説界の最古参と言われ、人前に姿を現さないことで名高いSM作家・千種忠平(ちだねちゅうへい)の講演会であった。小ホール「修羅の間」で秀一郎に紹介された千種は、近眼鏡の奥に小さな眼を炯らせている猫背のみすぼらしい老人で、女をさまざまに責めなぶる多彩なSM作品群を生み出してきたエネルギーを思わせない外貌ながら、説得力に富んだ講演で謙介を惹きつける。「自分は大勢の前で話すのは嫌いだが、秀一郎に提示された「犀の会」名誉会員の地位につられてこの講演を引き受けた。かつて勤めていた教員の仕事が嫌でSM小説を書き始めたが、執筆で生活できるようになったために教員を辞し、そのおかげで教員生活のストレスからかかった心臓病の発作はもう出ない。SM小説を書くことは自分にとってストレス解消で、性の遊びでストレスを発散している「犀の会」とは共通する。しかし自分には実地のプレイ経験があまりなく、想像力を駆使して女を責めるほうが好みである。というのも想像力によって構成された小説の世界でこそ、一点の欠点もない完璧な女体を現出できるからだ。経験した印象が時を経て濾過された後に、初めて随筆の筆を執るべきだと言った内田百閧フ見解に賛成である。作家の想像力から発した小説が読者の想像力に訴えることもあるのであって、晩年の谷崎潤一郎や川端康成によるエロチックな作品はその例証である。」