盂蘭盆会が過ぎた頃、光覚和尚は裏庭で奈美夫人を架けるための磔柱の制作にいそしんでいた。架けられた女体を最も美しく引き立たせる姿勢を追究する和尚は、夫をねぎらいに現れた浴衣姿の奈美夫人を敷居際に横たわらせて大の字の姿態を研究する。あられもない姿勢をとらされて羞じらいの汗を噴いた奈美夫人は、昂ぶった和尚にのしかかられて動転の悲鳴を放つ。無理やりこじ開けられた股間が昂ぶりに湿っていることを暴かれた夫人は、和尚が持ち出した縄で後ろ手に縛られ、納戸の中に立ち吊りにされて放置される。やがて磔にされるときに着せられる粗末な囚衣を見せつけられた奈美は、仕事に戻った夫が木材にノミを使う単調な音を納戸の中でひとり聞かされながら、女体の奥に疼くものを抑えきれなかった。
和尚が但馬老人や圭吾を巻き込んで奈美夫人の磔刑遊戯を仕組んだのは、慈恩寺と大野木家がその麓に佇立する代官山にまつわる二つの怨念話に由来する妄念のためであった。戦国時代、とある一向一揆の部将が拠ったこの山城が織田信長麾下の軍勢に落とされたとき、部将のひとり娘の雪姫という十八歳の美姫が自害を妨げられて虜囚となり、一夜にわたって下人どもに凌辱され尽くしたのち、翌朝、一族の生首が並ぶ大手門の前で磔にされたという。また天保年間には、飢饉から一揆を起こした百姓たちが代官所となっていたこの山に押し寄せ、役人たちを皆殺しにしたうえその妻と娘を凌辱して磔にする事件が起こっていた。十六歳だった娘が雪江という名だったことから、事件は雪姫の怨念の仕業と語り伝えられるようになっていたのである。これらの死者たちの霊をとむらうために建立された慈恩寺と、一揆の首謀者だった庄屋の末裔である大野木家のなかに、無惨な磔をめぐる妄念は脈々と受け継がれているかのようであった。